漫画「へうげもの」に学ぶカスタマージャーニーマップ

カスタマージャーニーマップは、顧客体験を可視化する有効なツールとして注目されています。しかし経営支援の現場では「顧客の心理がわからない」という声をいただきます。今回は、漫画「へうげもの」に描かれた千利休の茶湯から、顧客の心を読み解くヒントを学び、効果的なカスタマージャーニーマップの作成方法を考えてみましょう。

目次

カスタマージャーニーマップの難しさ

カスタマージャーニーマップとは、顧客の体験を顧客視点で時系列に可視化したものです。このツールは、自社のサービスや商品に対する顧客の行動と心理を理解する上で非常に有効です。しかし、多くの中小企業の経営者からは「作成が難しい」という声が聞かれます。特に、顧客の心理を設定する部分で筆が進まないという悩みが多いようです。

その理由の一つは、顧客の声やデータの不足にあります。カスタマージャーニーマップの作成には、実際の顧客の声を活用することが推奨されていますが、中小企業や小規模事業者では、顧客の声を体系的にデータとして収集・整理しているケースは多くありません。そのため、自分の経験から顧客心理を推測しようとしますが、他者の心理を正確に理解することは容易ではありません。

筆者が使用しているカスタマージャーニーマップのフレーム

「へうげもの」に見る茶湯の真髄

漫画「へうげもの」(山田 芳裕、講談社モーニングコミックス)は、戦国時代末期から安土桃山時代を舞台に、千利休や古田織部らを中心とした茶人たちの物語を描いた作品です。特に注目すべきは、利休が茶湯を通じて、いかに権力者たちの心を動かしていったかという点です。利休は単なる茶道家ではなく、茶湯という場を通じて、大名や豪商たちに巧みに影響を与えた戦略家でもありました。

作品の中で印象的な場面の一つが、利休が織部をもてなす茶席です(第1巻 第四席 茶室のファンタジー)。利休は織部の所有する名器「荒木高麗」を譲り受けるという目的を持って茶席を設えます。その過程で利休は、露路から茶室に至るまでの一連の仕掛けを、すべて織部の心理を読み解きながら緻密に構成していきます。これは単なるもてなしではなく、相手の心を深く理解し、その理解に基づいて意図的に体験を設計する、という極めて戦略的な取り組みだったのです。

へうげもの(1)山田 芳裕、講談社モーニングコミックス、2005年12月
へうげもの(1)山田 芳裕、講談社モーニングコミックス、2005年12月

顧客体験の戦略的デザイン

利休の手法は、現代のカスタマージャーニーマップの本質を考える上で重要な示唆を与えてくれます。利休は茶席という「顧客接点」において、相手の行動と心理を緻密に予測し、そこに自身の意図を巧みに織り込んでいきました。これは、まさに顧客体験を戦略的にデザインする現代のカスタマージャーニーマップの考え方そのものです。

「当て書き」の発想を活かす

映画やドラマの世界には「当て書き」という手法があります。これは、特定の役者を想定して脚本を書くことを指します。利休が織部という特定の相手を徹底的に理解し、その理解に基づいて茶席を構成したように、カスタマージャーニーマップの作成においても、漠然とした顧客像ではなく、実在する特定の顧客を想定することで、より具体的で説得力のある内容を描くことができます。

例えば、常連客の中から典型的な一人を選び、その方の来店から購買、アフターフォローまでの体験を細かく思い起こしてみましょう。その際、その方の職業、年齢、生活環境などの背景も含めて考えることで、各接点での感情や判断の理由もより具体的に描くことができます。

このように特定の顧客を念頭に置くことで、より現実に即した心理描写が可能になります。これは利休が織部の心理を読み解いて茶席を構成したように、顧客一人ひとりの内面にまで踏み込んだ理解を目指すものです。そしてその理解は、より効果的な顧客体験の設計につながっていくのです。

本来、カスタマージャーニーマップの作成には体系的な顧客データの活用が望ましいところですが、多くの中小企業ではそれが難しいのが実情です。「へうげもの」に描かれた利休の茶湯から学べるのは、特定の相手に焦点を当て、その人物を深く理解することで効果的な体験設計が可能になるというヒントです。実在する特定の顧客を想定して作成することで、データが十分でなくとも、実践的なカスタマージャーニーマップを作ることができるのです。

参考文献

  • はじめてのカスタマージャーニーマップワークショップ(加藤希尊、翔泳社、2018)
  • 理想的なカスタマージャーニーの設計原則(アヒール・ゴパルダス、アントン・シーベルト、渡部典子訳、ダイヤモンド社、2023)
  • BtoBマーケティング&セールス大全(岩本俊幸、同文館出版、2016)
  • The Art of Marketing マーケティングの技法: パーセプションフロー・モデル全解説(音部大輔、宣伝会議、2021)
  • ここから学ぶ茶室と露路(飯島照仁、淡交社、2011)
  • 茶の湯の歴史: 千利休まで(熊倉 功夫、朝日新聞出版、1990)
  • へうげもの(1)(山田 芳裕、講談社モーニングコミックス、2005年12月)
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